"トノバン"さんがくれたもの

突然入ってきた"トノバン"こと加藤和彦さん死去のニュース。
彼の音楽活動については本当にさわりの知識しかないのですが、15年前に死別された前妻・安井かずみさんとの共著『加藤和彦安井かずみキッチン&ベッド』*1にはお二人の食事に対するスタンス、ひいてはその人生観・美意識までもが感じられ、憧れと敬愛の念を抱いておりました。


これは20代の前半に父から薦められ読んだものでしたが、特に印象に残っているのが加藤さんの書いたこの部分。少し引用。

料理は、タイミングがむずかしい。
調理の腕前を判断する基準は、おおざっぱにいえば、味付けと、食卓に供する手順とタイミング。
客を招待するときなら、ひとつひとつの食べ具合を見ながら、料理をいちばんおいしい状態に仕上げて、タイミングよくサーブしなければならない。
ふだんの食事なら、もしおかずを五皿作るとすれば、その五皿を同時刻に仕上げる。一皿一皿作っていって、最後の一皿が出来たときには、最初のはさめかかっているのではまずい。コンロの数とかお鍋の数とかも考慮に入れて、できあがり時間を頭の中で定め、五皿が同時に完成するように逆算して作り始めるわけです。
一皿一皿の調理時間は、全部ちがう。この料理は調理時間にだいたい何分かかるということを、自分の体で知っていなければ、五皿同時にはできません。
(中略)

たとえば、三時に人と待ち合わせるとして、目的地にその時刻に着くまでには、現在地を何分前に出ればいいということはだれでも計算すると思う。そのとき、自分は先に行っていてサッと立って出迎えたほうが相手は気分がよいだろうかとか、早く着いてしまったら、ゆったりコーヒーでも飲んでいたほうが相手は気おくれしないだろうかとか、僕はそういうことを考えるのが好きなのです。だから、その配慮はむろん料理する際にも働かせています。
ひとつひとつのことを完遂させるまでの構成力とでもいいましょうか。料理では、ことにそれが露骨に出てしまうようです。
そうした時間を逆算できる観念を持った人は、非常においしい料理を作れるということになると思う。

主婦と生活社発行『加藤和彦安井かずみキッチン&ベッド』より引用)

食事は最高の状態で頂きたい、と常々思ってはいても、いざ自分で作ってみるとそれは簡単なようで難しい。
例えばごはんの炊きあがりに合わせておかずを仕上げているとき。既に出来上がっていた味噌汁もタイミングをあわせて温めておくべきところを失念し、慌てて強火で温め直す→若干沸騰させてしまい、味噌の風味が飛んでしまう。そんなとき覚えるモヤモヤはまさにこれで、自分の「構成力」不足に情けなくなる。聡明な人は料理もうまい、というのはまさにこういうことであるなあ。と膝を打ったものです。


日々続いていく生活の中で、食事を決して惰性や義務にすることなくいかに愉しむかということ。何を食べるかを考える愉しみ、作る愉しみ、食べる愉しみや悦び、またその時間を共有することで築かれていく豊かな人間関係。ひいてはそれが人生を愉しむひとつの大きな要素になるということ。それをこの本で教えてもらいました。
1977年に発行され、残念ながら絶版になってしまったこの本。これからも時々読み返したい、たいせつな宝物です。


加藤和彦さんのご冥福をお祈りいたします。

*1:現在は絶版